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仏教の開祖は誰?、その人物像とは【初期の教えと特徴】

仏教の歴史
この記事では、以下について解説します
・仏教の開祖はゴータマ・ブッダ
・ゴータマ・ブッダの人物像、ゴータマ・ブッダは仏教を作らなかった?
・仏教が広まった理由とは

仏教の開祖は、ガウタマ・シッダールタ

仏教の開祖の名前はガウタマ・シッダールタです。しかし、他にもいろんな呼び方があります。

ゴータマ・ブッダ
ブッダ
釈迦、お釈迦様
釈尊
釈迦牟尼仏

すべて同じ人物のことです。

ガウタマ・シッダールタという名前は、サンスクリット語の発音です。パーリ語では
「ゴータマ・シッダッタ」
という発音になります。
サンスクリット語とかパーリ語とかよくわからないと思いますが、ガウタマが生きていた時代では、サンスクリット語はお堅い言葉、パーリ語は俗語というような感じでした。

姓であり家柄をあらわしている「ゴータマ」は、インドでは一部の聖者につけられていた、とても由緒ある名前で、その地方でとても大きな権力を持った家柄であるということがわかります。

ゴータマの「ゴー」というのは、『牛』という意味です。英語で牛のことを「カウ」といいますよね。ドイツ語では「クー」といいます。インドとヨーロッパは同じ語源を祖としています。

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そして、インドでは昔から、牛が神のように大切にされてきました。さらに「タマ」というのは、『最も優れた』という意味です。名前を見るだけで彼の生まれと育ちの良さがわかりますね。

名前の「シッダールタ」の方は、言葉の意味が『目的を達成した人』と出来すぎていること、古い仏典に言及がないことから、本名かどうか実は良くわかってません。

よく使われる呼称として、「ブッダ」があります。こちらの方がよく耳にすると思います。「ブッダ」はもともと『目覚めた人』という意味で、インドの宗教一般において、優れた修行者や聖者がそう呼ばれていました。それが音写されて「仏陀」という漢字があてがわれ、さらに省略されて「仏」という俗称ができました。
現在において仏陀は、ほぼ釈迦ただ一人を示す言葉となっています。

 「釈迦」という呼称もよく聞きますね。これは、シッダールタの一族、シャカ族のことで、シャカを音写して「釈迦」となりました。そして、シャカ族の偉い人ということで、「尊」という敬称をつけて「釈尊」とも呼ばれます。さらに、『シャカ族の聖者』という意味で、「シャーキヤムニ」という呼び方もあり、それが音写されて「釈迦牟尼」となりました。

ガウタマ・シッダールタの人物像

シッダールタの苦悩

とても良い家柄の出身と書きましたが、父親はまさにその地方の王様であり、シッダールタは幼少期から青年期にかけて、まさに王子様として暮らしていました。父からの期待を一身に集め、三つの専用宮殿があり、季節ごとに住む場所を変えていました。雨季には一歩も外に出なくても、不自由はなかったそうです。聡明で文武に長けていたとされています。生まれてすぐに実母を亡くし、その後実母の妹が母親代わりになりました。
しかしシッダールタは、そのような生活に満足せず、人生の無常を常に憂いていました。そのような息子の姿を見かねて、父が結婚相手をあてがいます。そして後継ぎ息子を一人もうけました。

道を求めて、出家

それでも、真実を追求したいという思いが抑えきれず、一人息子が生まれて間もないころ、29歳で出家しました。出家というと、世俗を捨て去ってしまうようなイメージですが、当時の出家というのは、一昔前の留学の感覚に近くて、遠いところに勉強しに行くような感じだったと考えられています。というのも、妻子を持っているものは、妻子の生活が保障されていなければ出家してはならないという法があり、誰でも出来ることでは無かったのです。シッダールタは王子ですから、その辺りは問題なかったわけですね。

厳しい修行ののちに

その後厳しい修行を経て、色々な師匠の所を行って、それぞれの教えを体得していきますが、そのうち自ら断食や苦行を試すようになりました。苦行の内容に関しては、どこまでが本当なのか分かりませんが、極限まで自分を追い詰めたのは事実のようです。そしてとうとう、苦行の末に35歳で悟りを開きました。

悟りを開いた後、布教へ

悟りを開いてすぐのうちは、「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」と思っていましたが、そのうち考えが変わり、「世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろう」と思って旅に出ました。

ゴータマ・ブッダは仏教を作らなかった?

旅に出たシッダールタは、時に応じて機会に触れて、人々に教えを説いて行きました。それは布教活動というようなものでもなく、神による救済を説いたわけでもなく、どちらかというと人生相談に近いものでした。人々が持っている悩みに、真理をもって答えていく、というスタイルで説法をしていました。ゴータマ自身には、自分が仏教という特別な宗教の開祖になるという意識はありませんでした。ただ目の前に困っている人がいる。自分はその答えを知っている。だからアドバイスする。ということを淡々と行っていったのです。

 そのうち、シッダールタの説くその”理法”に感銘を受けて、彼の教えに帰依する人々が次々に現れます。そしてそれらの人々は、集い、教団を形成していきました。ついには、ある大国の王様まで帰依して、シッダールタは大きな影響力をもった人物になります。この辺りが仏教のはじまり、原始仏教といわれている頃の、最初期ですね。しかしながら、ゴータマに教祖という意識は無く、最後まで真実の法を説き続けただけでした。

仏教が広まった理由

シッダールタの死後、弟子たちがシッダールタの教えを守り、伝え続けていました。当初は口伝で伝えられていて、文字に書き写されたのはそれから何十年も後といわれています。そして、そのころからいろいろな宗派に分かれていきます。
仏教がその後世界中に広がり、多くの地域、人々の信仰を集めている理由は、

①もともとは特定の神を信仰する宗教ではなく、どちらかというと思想のようなもので、帰依する人の元々の信仰を否定しなかった。
②それまであった宗教には厳しい階級制度があり、それらに疑問を唱える風潮が、当時の世界の流れとマッチしていた。
③急速に発展していった農耕文化と相性が良かった。

などといったことがあげられます。これらは説明するととても長くなるので、別の記事で解説しようと思います。

以上が「仏教の開祖は誰か」ということの大まかな答えです。
参考になりましたでしょうか。
おわり。

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