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【文字起し】中村元先生によるスッタニパータ解説その1 概要

中村元先生文字起し

記事の概要

中村元先生による原始仏典スッタニパータの解説動画の文字起しです。
音声を聞いて勉強するのは、多大な集中力と時間を要します。
もちろん耳で聞いて勉強することも大変有益ですが、
読んで学習できる形にすることで、より深い理解が可能になると思います。
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スッタニパータとは

中村元でございます。

 これから、仏教の経典の中で最も古いものと学者が考えております、スッタニパータという経典について、申し上げることにいたします。

 「スッタ」と申しますのは経という言葉の原語、パーリ語で言うのです。サンスクリット語では「スートラ」と申します。それが訛って「スッタ」となったんですね。『たていと』という意味です。中国の聖典も経書と申しますでしょう。経という字が使われておりますね。で、スッタという言葉を経という漢字で訳したのです。

「ニパータ」と申しますのは、集まり、集成という意味です。ですから、非常に古く作られ、伝えられた、短い経典を集めたものが、スッタニパータなのであります。

 仏教の経典と申しますのは、仏教の開祖であります、ゴータマ・ブッダ、釈尊、俗に申しますお釈迦様が、だいたい時に応じて機会に触れて、誰かに説いた事柄を、お弟子たちがずっと聞き伝えておりまして、そして、のちの人が、それを短くまとめた、それが経典の起こりでございます。

スッタニパータの特徴

 仏教の開祖、ゴータマ・ブッダ、釈尊には、仏教という特別の宗教を説くという意識はございませんでした。彼にあっては、特別に仏教という特殊な宗教を説くつもりは無かったのです。ただ、本当の人間として生きる、真実の姿を目指していたのです。人間はどのように生きたらいいか、人間の生きる真実の道を求めたのであります。それを聞いて、当時の人々が、心に打たれたのであります。その教えが、後に伝えられて、今日に至ったわけでありますが、今伝えられております若干の文句あるいは若干の詩の文句というものは、おそらく、ゴータマ・ブッダ自身に由来するのではないかと思われるのであります。非常に古い詩とか、あるいは古い定型句には、特別の仏教用語というものは現れていないのです。今日、仏教の言葉として、いろいろ難しい述語が伝えられておりますが、そういうものが、スッタニパータには出てこないんですね。

 ことに、釈尊自身、あるいはお弟子たちは、詩を作るのを楽しんだのだと思うのです。インド人は詩を作るのを楽しむ、また詩を聞くのを楽しむ、そういう民族であります。今日でも、インドでは詩の会というものが盛んに開かれているのであります。ちょうどわが国で、和歌や俳句を好まれる方が、しばしば会を催されますように、インドでも、詩の会というものが始終開かれまして、それを朗吟いたします。そのコンテストも行われっております。ことに面白いのは、詩の文句のしりとり合戦というのがなされているんです。その訳は、ある人がひとつの詩を唱えます。そうすると、その詩の最後の文句に、例えば「さ」という音で終わったとします。そうすると次の人が、「さ」から始まる、何か詩の文句をパッと唱えるわけです。その文句が次に、仮に「な」で終わったとしますよ。そうすると今度は、次の人が「な」で始まる詩の文句を伝える。そして、次々と唱えまして、とめどないんですね。で、両方に分かれて、合戦をすることもございます。インド独特の習わしですが、それくらい詩というものを愛好していた。だから、おそらく釈尊やそのお弟子たちも詩を作ったでしょうし、それを朗吟することを、昔の人々は好んでいたのですね。

 スッタニパータでもそうですが、ほかの仏典もわりあい繰り返しが多いのです。何故かと申しますと、これはやっぱり同じような文句を少しずつ変えて、繰り返して唱える、その繰り返しを楽しんでいたのですね。それが現在は文字に書き写されるようになりましたから、現在の人が読んでみると、非常に繰り返しが多い。昔のインド人はそれを楽しんでいたんだということができるのであります。

 経典としては、いろいろなものが伝えられておりますが、その中でスッタニパータという書物が一番古いものであろうといわれております。そのわけは、スッタニパータの中の言葉が、ヴェーダ聖典の言い回しに近いものが非常に多いのです。仏教が現れる前には、インドではバラモン教が行われてまして、ヴェーダ聖典をバラモンたちが唱えていました。その語法、言葉使いが、あちこちにみられるんですね。個々の言葉も、わりあいヴェーダの言葉、あるいは当時の諸宗教の言葉が見られるのです。当時の諸宗教はいろいろありましたが、ことにジャイナ教というのが今日まで残っております。そのジャイナ教の聖典と、非常に似た表現や言い回しが多い。だから、仏教が独立の大きな宗教として、後世に発展するようになる以前の段階を示していると考えられるのです。

最初期の仏典に現れる釈尊の人格

 そのスッタニパータの詩の文句の中には、仏教の開祖であります、ゴータマブッダの姿が生き生きと出てくるんです。後代の仏典になりますと、お釈迦様を崇拝するあまり、人間離れをした超人的な、超能力をもった人みたいに好んで描いておりますが、しかし、スッタニパータでは、まことに釈尊の姿が素直に描かれています。その教えも決して無理なことを教えていない。それを聞いてみると、我々でもそうだなと納得のいくような説き方なのであります。

 ですから、そこにあらわれる釈尊の姿、ゴータマ・ブッダの姿というものは、歴史的人格として表れているのであります。歴史的人格としての釈尊に、ことに、生き生きとした姿に迫るためには、もっとも近道である、我々にじかに響いてくる、そういう書物であります。聖典ではありますが、聖典というような堅苦しさがないのですね。そして、歴史的人格としてのゴータマ・ブッダの言葉にもっとも近い詩の文句がここに集められているのであります。

他の原始仏典との関係と仏教の興り

 原始仏教の聖典として現在残っているものは、パーリ語の聖典が一番大きいのです。それに相当する漢訳の経典が多数伝わっておりまして、漢訳の経典は、阿含経と呼ばれております。阿含と言うのは、サンスクリット語やパーリ語の「アーガマ」の音を映したのでして、伝え、伝承、伝統、聖典というような意味です。今日でも、インドネシアでは宗教のことを「アーガン」と申します。

阿含経典の解説

 パーリ語と申しますのは、現在では南方アジアの仏教聖典の言葉で、学問のあるお坊さんは、パーリ語を、読み書き語ることができるのであります。これは当時の俗語の一種で、それがのちに、恐らく西の方のインドで、一応文法や言葉の形が決まって、多くの聖典がパーリ語に翻訳されました。それが南の方の朱里なんかの島に伝えられて、ビルマ、タイランド、カンボジア、ラオスというような国に伝えれられ、それぞれの国の文字で伝えられております。言葉としては同じなんですが、それに使われる文字がそれぞれ違っているというわけです。

 そのほかに、パーリ語の聖典、漢訳の阿含経に相当するもので、昔はサンスクリットで書かれた聖典もあったに違いないのですが、今日では、もう失われておりました。ところが今世紀になりまして、中央アジアのシルクロード、コウタン、トゥルファンの遺跡を発掘しましたところ、非常に古い写本、ことにブナの木の皮に書きつけられた写本の破片が相当見つかっております。西洋の学者、ことにドイツの学者が非常に力を入れてそれを整理して、欠けているところは補って、ある程度読めるような形のものが、今日ドイツでたくさん出版刊行されております。そのうちのあるものはサンスクリットから現代の言葉に翻訳されている実情であります。

 このようにいろいろな言葉で伝えられていますが、もとはどうであったかと申しますと、お釈迦様、歴史的人格としてのゴータマ・ブッダが話すのに使った言葉は、おそらく東部インド語と学者が呼んでいるもの、あるいはマガダ語ともいわれますが、現在でいうと、ガンジス川の流域あたりになるわけですが、その地方の言葉を、釈尊は使って、説教をしておりました。それがのちに、今申し上げたような、いろいろな言語でまとめられるようになったのであります。

 これから申し上げます、仏陀の言葉、つまりスッタニパータの中では、仏教が発展する以前の、簡単素朴な、一番最初の時期の仏教が示されているのです。もっとも始まりのものを示している。そこには後代のような煩瑣な教理は少しも述べられていないのです。釈尊自身は、このような単純で、素直な形で、人間が人として歩むべき道を説いたのであります。釈尊には自ら自分が特殊な仏教という宗教の開祖となるなんていう意識は無かったのであります。

 釈尊にじかにお会いして、そのお話をじかに聞くような、そういうつもりで、これからスッタニパータのうちの若干の重要な部分、あるいは興味深い部分を、一つずつ、お話しすることにいたしましょう。

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