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初期仏典の成り立ちと構造2【第一結集(だいいちけつじゅう)】

仏典、仏伝

集まった499人、残りの一人は?

さて、前回の記事で、律蔵五百犍度において、マハーカッサパを含めて499人が集まったと書いた。ここにもう一人加わることになるのだが、それが【阿南(あなん、アーナンダ)】である。アーナンダはブッダの付き人として、ブッダの身の回りの世話をしながら共に旅をしていた。仏弟子という立場ではあるが、自分の修行よりも、ブッダの世話がアーナンダの主な活動だったために、悟りへの道という点では、ブッダが亡くなった時点では、ゴールまで到達することができていなかった。マハーカッサパは、この会議は阿羅漢だけが参加するという趣旨で会議を開催したので、アーナンダの参加を認めていなかったのだが、サンガの中には、かなりの数の、アーナンダを支持する僧侶がいたらしく、その僧侶たちの嘆願によって、マハーカッサパはその意見を聞き入れ、総勢500人となった。アーナンダはその後、会議が始まる前に悟りに至る。なので順序は逆になったが、結局のところこの第一結集の500人は全員が悟りを開いた阿羅漢であった。

主催はマハーカッサパ。参加者は阿羅漢500人。そしてブッダが説いた膨大な説法を集めて編纂していくわけであるが、その時に【経】と【律】というすでにある分類をもとに、それぞれ分けてまとめていくことになった。そしてこの二つの分野の内容を正しく把握するために、それぞれの分野に一番詳しい人物が選ばれた。経の専門として、アーナンダ。律の専門が、優波離(ウパーリ)である。499人の前で、自分が知っている詳細な知識を大きな声で語る。そうすると、残りの499人はその人の声を聞き、記憶する。この時代は、一般社会において文字で書き記すという文化は無かったので、物事を伝え残してていくということに関しては、聞いて覚えるしかない。第一結集が開かれるこの段階においては、ブッダが説いた膨大な説法はそれぞれの僧侶のなかに、断片的な知識としてあったはずだが、それらをさらに詳細に体系付けて把握するために、このような手法が採られることになった。そうしないと、その専門家がこの世からいなくなった段階で、その知識は完全に永遠に消滅するということになって、仏教の教えはそれで終わりということになる。聞くことによって。この後この500人はそれぞれに違う場所へ行った先で、また自分が記憶している教えを次の世代へと教え、それをまた耳で聞いて記憶する。このようにしてブッダの教えは多くの人に共有されることになる。このようにして、文字の無い世界で、なんとかブッダの教えを維持保存していくことを可能にしたのである。

ウパーリの話

第一結集ではまず先に律が編纂されたことになっている。律の専門家ウパーリは、王族である【釈迦族】が住んでいたカピラ城の中で働く理髪係だった。ウパーリは王族の一員ではなく一般庶民である。王宮の貴族の面々から見れば、一般の身分の低い下賤な者であった。

ウパーリのが受戒するエピソードは律の中には出てこないが、重要なポイントなので大まかに紹介しておこう。

ブッダももとは釈迦族である。悟りを開いて後に、生まれ故郷であるカピラ城近辺の郊外に修行者として滞在していた際に、聖なる偉人となったブッダの説法を聞こうと、釈迦族をはじめ、周辺の住民がブッダを尋ねた。そして話を聞くと、釈迦族の貴族の人たちも含めて、心打たれて出家を願い出る人たちが続々と現れた。その中にウパーリもいたのである。ブッダはその中で一番身分の低いウパーリを最初に受戒させた。仏教僧団の中では、誰が上座に来て誰が下座に来るかという順番は、その人がいつ僧侶になったか、時期の早い遅いだけで決まる。ウパーリが最初に僧侶になることによって、それから以後は永遠に、釈迦族の貴族たちはウパーリの下座に座ることになる。それは同族が血縁関係を理由に傲慢を起こさないための配慮であった。

このウパーリの話は、仏教僧団の自立を決める話の中で重要な役割を果たしてる。つまりウパーリは、仏教僧団との決め事の代表格として僧侶なってるということである。このことからウパーリはその後仏教僧団の決め事の専門家になったというつながりになっているわけである。ウパーリ自身もおそらく、出家をした後に律の研究勉強を一生懸命したのだろう。

経の専門家アーナンダは、ブッダの付き人として、ブッダの説法を全て後ろで聞いていた人物である。つまり一番たくさんおブッダの教えを聞き、覚えている人物として選ばれたのは当然のことであろう。

こうしてウパーリ、アーナンダという二人の人物が、それぞれ律、経について語ることになった。

会議の進行

それでは編纂会議はどのように進行していったのだろうか。

それは、マハーカッサパの質問に、二人の代表者が答えていくという形で行われた。

律の第一条を、波羅夷第一条という。「波羅夷」とはインド語の音写であり、もとは「パーラージカ」である。これは犯罪の名前である。

律の条文は、重い罪から順番に並んでいる。つまり第一条は律の中で最も重い罪の一つである。それを冒した者は、仏教僧団から永久追放されるという非常に思い罰が罰が定められている。余談ではあるが、律の中には今日の我々では看過しがたいような、明らかに女性差別となるような条文も多く含まれている。波羅夷そのものも女性の方が多い。第一条は男性の僧侶が性行為をすることを、いかなる場合においても禁止するという内容である。

マハーカッサパは、律の条文について、順番に質問していく。「波羅夷第一条はどのような因縁で制定されたのか」「第二条はどのような因縁で制定されたのか」それに対してウパーリは、どのようなエピソードがあったのか、その罪を犯した僧侶は誰なのか、お釈迦さまはどうしてそのような律を制定したのか、また同時に、こういう場合は有罪、こういう場合は無罪というようなこまごまとした判定基準も含め、詳細に答えるわけである。第一条のみ経緯を紹介する。

波羅夷第一条のエピソード

波羅夷第一条は、バイシャーリという町で制定された。「ミンナ」という僧侶がおり、真面目な僧侶であったが、資産家の息子であり、妻がいたのだが、子はいなかった。家族を捨てて出家したわけである。残された家族は後継ぎもいなくなり、これを大変悲しんだ。そんなおり、ミンナは実家に托鉢(ごはんの残り物をもらうこと)に行った。僧侶は食べるものを托鉢や布施でしか手に入れられず、しかも貯蔵も禁止されていたので、実家でも行くのである。そうすると、父と母だ出てきてこのように嘆願された。「お前のことはあきらめた。だが、頼むから後継ぎを残してほしい。孫にこの家を継いでもらえればお前のことはあきらめるから」と、そのような因縁で、ミンナは性行為をしたわけである。

それがお釈迦様の耳に入り、それまで規則が無かったところに波羅夷第一条が制定された。これをこのまま放っておくと、そういう理屈でどんどん抜け道をつくり性行為に及んでしまう僧侶たちが出てくることが予想できたからである。

ちなみに第二条は窃盗、第三条は殺人、第四条は悟っていないことを自覚していながら自分は悟ったと喧伝するもの。この四つは最大の罪で永久追放になる。ウパーリは、律の条文100条、女性のものも合わせると500以上の条文について順番に答えていった。これが律の編纂であるとされている。

アーナンダはお釈迦様の付き人として、お釈迦さまが人々に説いた悟りへの道を後ろで話を聞いていたので、経についての質問に答えていった。マハーカッサパが同じスタイルで質問し、アーナンダが答えていく訳である。経については5000本あるが、すべてアーナンダが答え、皆に語ったということである。

マハーカッサパも含め、そこに集まった阿羅漢たちは、経や律について全く知らなかったわけではなく、ある程度、大部分は知っていたのではないかと思われる。Q&A形式で対話が進んでいくのであるが、Qの中に、すでに制定された場所であったり、人物であったりが入っていたりするためである。皆が知っていることについて確認情報を取っているという形である。また、これに関しては、第一結集というイベントそのものがあとから付け加えられた伝説であり、この伝説が作られた時にはすでにまとまっていなのではないかという疑問も出てくる。第一結集にはそのほかにも隠れた問題や難しい問題もあるのである。

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